黒猫の話

 今日は労働衛生コンサルタントの試験を受けてきました。部門は労働衛生工学です。
 今回はなぜか全然勉強する気にならず、ほとんど勉強しませんでした。定期的に訪れる鬱のためか、酒の飲み過ぎによる肝臓障害のためか、ダイエットによる栄養不良か、分かりません。55歳ですからしようがないですね。それでも定価4000円の本を自費で買って、受験料が24000円越えてますから、大した出費です。今回仮に受かっても口答試験を受けに大阪まで行かねばなりません。そこで落ちたら最悪です。全部自費ですから。

 試験中は久しぶりに緊張しました。試験免除があるので受験するのは専門科目の2時間だけです。大問4問のうち1〜2問から1問。3〜4問から1問の計2問ですが、記述式なので1問目で書く手が痛くなるし、時間は掛かるしで相当焦りました。2問目は計算問題ですが、途中で俺の考え方は、本当に正しいのか? 全圧=動圧+静圧の根本に変えるべきではないか?と全面修正。試験中に何やってんでしょうね。試験中に受験勉強時の勘違いに気がつくとは。本質を理解せずに解法だけを表面的に覚えようとしていたことを反省。

 どちらにしてもこれが人生最後の本格的な受験です。もう試験は受けない。!

 というようなことを書きたいのではなく。多分、今は死んでしまった黒猫ちゃんの話を今日はしたいのです。
 元々うちは犬派だったので猫に興味はなかったのですが、ミー(自己紹介を見てください)を飼ってから猫も中々可愛いと思うようになりました。

 ばあさん(母親のこと)がいつの頃からか、黒猫に餌をやり始めて部屋に入れるようになりました。おとなしい猫で日中はばあさんの部屋で過ごして、夜はどこに行くか知りません。ばあさんが部屋で勝手に飼いだした猫で家族は気持ちが悪いと認知していませんでした。

 ところがばあさんが低血糖脳症でわけがわからなくなり、意識が戻らないままとなりました。やっと入院も落ち着いたので、ばあさんが可愛がっていた黒猫なので面倒をみてやろうかとふと思いつきました。ばあさんの部屋の窓の外に水と餌を置いておびき寄せることから始めました。なぜなら、ばあさん以外には全くなついていなかったからです。朝晩に餌をやって、そのうち、部屋に入れるようにして、段々馴らしていきました。

 ところがばあさんが入院している間に野良の生活が続いたためか、体にはノミやダニが付いたようです。私の体に体を擦り付けてきたと思ったら内股に赤い斑点が出来て、かゆいこと。夏で短パンだったので直接太ももの内側に黒猫の肌が触れた途端に虫に食われました。これでは家で飼えないとノミ取りの薬を買ってきて、背中に塗りました。次に毛を梳かしてやろうと柴犬マックスのブラシで梳かしてやりました。毛が抜けること抜けること。

 その頃は、私が会社から帰ってくるのをばあさんの部屋の窓の外で待ってましたから。私は会社から帰ると餌をやって、時間があれば、部屋に入れて毛を解いてやるようなことをしていました。部屋に入ると非常に甘えてきます。体を何度も摺り寄せてきます。可愛いけどノミやダニが怖いので早く退治してやろうと思っていました。

 そのうち、黒猫は右目にやにが多く、体も痩せすぎていると感じるようになりました。今考えると固形の餌も噛まずに丸呑みしているようだし、いやに口臭が酷いし。病気なら病院に連れて行かないといけないと考えていました。病院で完全に治療して、ノミ、ダニ退治も完全に済めば、飼い猫にして夜も一緒に寝てもいいと考えていました。

 9月も終わりに近い頃、毛を解いてもらうのが気持ちいいのか、だいぶ馴れてもきました。その頃は、私が畳の上に座っていると私の正面から上半身に登ってきて、私の顔に顔を近づけてきたり、一人で部屋でおとなしくしていたりしていたのですが、2回ほど二階の子供部屋に飛んでいってベッドの下にもぐりこんだり、うずくまったり不可解な行動をするようになりました。体も確実に痩せて、食欲も無くなってきたので今度の土曜には病院に連れて行こうと考えていました。

 最後の日は、9月29日だったと思うのですが、元々ばあさんの部屋から勝手に出ることがないのに襖を自分で開けていつの間にか子供部屋に行ってうずくまっていました。夜も更けて、いつもなら自分から出て行くのに、外に出そうとすると出たくないと言うそぶり。無理に外に出すと家に入れてくれと哀願していました。それでも心を鬼にして外に出したのが最後でした。それからぱったりと姿を見せなくなりました。

 本屋で猫の本を見ると猫は口の中の病気に罹ることが多くて、餌を食べられなくなることもあると言う。そうだったのか?と思いましたが、後の祭りです。もう少し早く病院に連れて行ってやればよかったと。

 今、私はばあさんの部屋に寝ていますが、朝、シャッターを開けると車の下から黒ちゃんが出てきそうな気がするのです。たかがノラ猫なのですが、少しでも心が通うと人間と同様なのだとこの歳になって初めて気がつきました。歳をとって私が軟弱になってきたのか、私もやっと人の気持ちが分かり始めたのか、歳を取ることも少しは有意義かな、と思いました。

 南無阿弥陀仏

 (2010年10月20日 記)

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